矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

仕事へのやわらかい部分


僕はいま、ものすごく大きな難問に取り組んでいる。

「取り留めのない話ですみません」なのだが、
書きながら考えをまとめてみようっと。

「嫌なことをしないで生きていく」
という選択は、悪いことか良いことか?

あ、ダメダメ。
マイナス思考のスパイラルに陥りそうだ。
話題がでかすぎる。

言葉を変えよう。そうそう。

「月曜日が怖くない仕事はできないものか?」

・・・
わかりにくいかなあ。

それにしても、どうしてこんな疑問を
考えているのか?

恥ずかしい話なんだけれど、端的に言うと

「過労死したくないなあ」

と思ったからなのだ。

僕は頭が悪いし、そのうえ心が弱いときている。
そんなヒトが、これからどう生き延びていくのか?

そんなサバイバルめいたことを考えていると、

これから、どんな仕事に就くべきか?

という心配から派生して、
いろいろな心配が生まれてきてしまった。

仕事をするというのは、会社に入ることと同義ではない。

そんなこと誰でも知っている。
僕も賛成だ。

でも、たとえば転職をあっせんする会社は、
そんなこと考えてない。

「どれだけたくさんの紹介料を取るか」
という仕事なので当たり前なのだけれど、

「仕事をするというのは、会社に入ることと同義ではない」
という考え方なんて、みじんもしていない。
(ように思える。少なくとも、自発的にそういう考えを
オモテに出してはくれない)

しかし、そういう会社みたいな「窓口」くらいしか、
さしあたっての情報を得られる場所を知らない
僕のようなヒトは、
どうやって仕事を選択すればいいんだろ!

と、心配になってしまうのだ。

だって、そうでしょう。

転職あっせん会社が提示するのって、
せいぜいが給与条件、労働条件くらいのもので、

「あなたはどれくらい心が強いですか?」
とか、
「定時で早く帰るのが怖いのはどうしてですか?」
とか、
「上司の無意味な罵倒はイヤですよね?」
とか、
聞いてくれないわけでしょ。

当たり前の話だけれど、
そんなこと、自分で自分に聞いて、
自分で答えを出すしかないじゃん。

(いかん、書き方がダラダラになってきたぞ)

でも、仕事に対する自分の態度や、恐れや、望みや、
やる気や、適したやり方や、乗り越えなきゃいけない壁や

そういうことたちを、
考えるための言葉も、情報も、手がかりも
見渡すかぎり、どこにも転がっていないぞ!
って感じがする。

「仕事をするというのは、会社に入ることと同義ではない」

という、仕事に対するメンタルな部分、
しかもめちゃくちゃこわれやすい部分は、
確かに、自分の中にあるわけなのだが、

そいつを大切にしようと思ったところで、
どうやったら、その「やわらかい部分」を
大事にした仕事ができるのかが、ワカンナイ。

だから下手な仕事選びをしちまったら、
もしか下手すると過労死だぜ・・・

と、心配をしたというわけ。
心配のほうは極端なんだけれどね。

とてもワカンナイ話になってすみません。
もっとわかりやすいように、
とある形式で、まとめている最中なもので。