汽水域(音楽の話)
どうも、音楽活動が楽しくないぞ。
そのことに気がついたのが、
ここ最近のことだ。
変だ。どうしたんだろう。
僕は、今、ロックバンドでボーカルを
務めさせてもらっている。
その少し前には、さる音楽のジャンルで
楽器を演奏していたこともある。
下手は下手なりに、一生懸命やっていて
それが心地いいような、具合だった。
ところが、今は・・・。
・・・
「自分の気持ちを音楽に乗せて届ける」
という言い方がある。
僕は、それは、嘘だと思う。
例えば
純真な、美しい心の持ち主が
世にもおぞましい、音痴な歌声で
歌を歌うなら、ただ、迷惑なだけだ。
気持ちだけでは、音楽にならない。
技術が必要だ。
一方で、
ただ技術さえあればいいかというと
それもどうも、無機質な感じがする。
演奏する側の気持ちの問題もやっぱり重要で、
それがないのなら
音楽なんかロボットにでも任せておけ!
ということになってしまう。
・・・
「音楽に技術が必要だ」
というのは、聴く人の側、つまり
「他人」の側に立った考えだけれど
「音楽をやっている自分」を
丸きり無視することはできない。
「他人」に寄るか、「自分」に寄るか。
その塩梅がどうもややこしい。
音楽というのは
「他人」と「自分」の汽水域
(混じりあうところ)にあって、
どちらに寄ってしまうこともなく
曖昧にプカプカと浮いているものだ
という気がする。
・・・
音楽をやることは、僕にとって
大切な表現手段である。
聞く人が聞けば、笑うだろう。
僕には技術もないし、音感もない。
でも、音楽でしか表現できないことが
確かにあるわけなのだ。
しかし、最近では
音楽への愛情とか、喜びとか、楽しさが
少しずつ、減っていると感じられる。
ただ、面倒ばかりが増えて・・・
・・・
音楽をつづけていると
自分たちだけで、楽しむのではなく
「聴いてくれる人」を増やしたくなる。
というか、真剣にやればやるほど
自己満足ではなく、評価を外に求める。
それは健全だし、いいことだと思う。
ただ、
「音楽をする人」が、巷にあふれている中で
どうやって「聴いてくれる人」を増やすのか
というのは、大問題になる。
ライブをやる、音源を作って配る
ホームページを作る・・・
それに、聴いてもらうには、
下手ではダメダ!!
技術のレベルアップも必要不可欠だ。
という具合に、
「他人に音楽を聴いてもらうためには?」
という問題にかかずりあう時間が
最近は、ぐっと増えた。
・・・
思えば、僕はずっと
「自分」寄りに音楽をやってきた。
自分が、楽しいと思うかどうか。
格好いいと思うかどうか。
それを手がかりに、音楽をやってきた。
けれど、
「音楽を他人に聴いてもらう」 ためには
それだけではダメで
技術とか、知識とか、効果的なアピールとか
そういうものが必要になる。
自分には、そういうものが、ない。
もっと、吐露してしまうなら
そういうものを必死に身につける気もない。
音楽は大事だ。でも、全てではない。
僕にとって、あくまで音楽は
生活の、ワン・オブ・ゼムである。
だから
生活のほとんどを音楽に費やさなければ
身につけられないものを、手にしようとは
思えないし、そもそも、無理なのだ!
・・・
このように、僕はいい加減な人間だ。
わかりにくい人間と言ってもいいだろう。
音楽をつづけていくにつれ
こういう「いい加減さ、わかりにくさ」は
どんどん扱いにくくなるし、
理解されなくなるし
周囲とのあつれきも生む。
それでも、音楽は、僕にとっては
大事なものなのだ。
本格的に、どっぷりとはできないし、
大してうまくもないし、
自分の音楽をアピールすることに興味もない。
でも、
音楽の楽しさも、喜びも捨てず
聴いてもらうための向上心も捨てず
「他人」と「自分」の汽水域にある音楽を
ずっとつづけていきたい。
いったい、どうすればいいのだろう?