矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

外から自分を眺めてみれば


すごく大変な状況に自分が置かれているとき、
嫌な人に散々いじめられたとき、
大きな病気をしてしまったとき、
借金を背負い込んでしまったとき、
よく思いがちなのが

「なんで私だけがこんな目に遭わなきゃいけないの!」

ということだろう。

かわいそうな自分を見てちょうだい!
誰かなぐさめて!助けて!
と、他人の助力を乞い、自分の不幸を認めてもらいたがる。

悲しいかな、僕もその傾向があるのだ。
しかも、ちょっとじゃなくて、大いにある。

お恥ずかしい話だが、僕は仕事でよく上司に怒られる。
(ホウレンソウが足りない、とか。前項参照)r>
実際の話、僕を見ているとムカつくんだろうな、だから
こんな感情的に怒ってんだろうな、ということにも
気付いてしまったりする。

そういうとき、僕は涙をこらえながら、自分の身の不幸を嘆く。
愚痴を言いたくなる。
「大変だね」と言ってもらいたくなる。

小せえ野郎だ。本当にそう思う。

と、自分のことはさておいて、不幸だ不幸だと嘆く人を傍目から
見るのって、滑稽だと思いませんか。

世界の中心に立っているような顔をして、ナニヨ、馬鹿みたいネ!
あんたの悩みなんか、馬フン程にもなりゃしないわヨ!

という、気分になりませんか。
・・・ならないか。

とにかく、他人事として眺めれば、いかにも深刻に悩んでいる人だって
滑稽に見えてくる。
『ヒトゴトとして、外から眺める』という視点から、余裕とユーモアが
生まれてくるのだろう。

ああ、外から自分を眺めてみたい。
ヒトゴトとして
「そんなの大したことじゃねーさ」
と言ってみたい。
今の、どうにもならない状況は、そうでなきゃ突破できない。
(何がどうにもならないか?
どうにもならないことって、色々あるじゃありませんか)

今の僕には、非論理的な、馬鹿なパワーが足りない。
仕事ではしょっちゅうミスをしているし。

いや、いや、いや!
もう「しょっちゅうミスをしているし」なんて、みみっちい自己評価を下して
グジグジと気にしているあたりがすでに良くない。
自信喪失、まったくパワーが足りない証拠だ。

どうってことないのにね。

まるで他人をカンタンに批評するように
「馬鹿ねえ、あんたがやらなきゃいけないのはこれでしょ!」と
あっけらかんと他人に言ってのけるように、
自分にもそうやって、言い放ってみたらどうだろうか。

つらい状況の中で、
「アハハ、仕方ねえなあ」
とか言って笑ってみたら、さぞかし、いい眺めだろう。
カッコイイねえ。

外から自分を眺めてみたい。
一体、今、僕はどこにいて、何をすべきなんだろうか?