矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。


ただ物だけを見る


世田谷美術館で行なわれている
『青山二郎の眼』展を観に行った。

青山二郎(1901〜1979)は、
美術評論家という肩書きがついてはいるが、
白州正子の回想によれば、青山二郎は
生涯『なんでもない人』だったという。

東洋陶磁(中国・朝鮮・日本の陶器、磁器)
の目利きとして、
最期まで骨とうと親しんで亡くなった。

僕は焼き物、骨とうにはまったく
明るくない。
だから、今回の展示を見ても、それが
良いものなのか、
(まあ悪いものはないと思うのだが)
知識としてはわからないのだった。

この展示を観に行ったのには理由があって
この展示を企画した、 白洲信哉 さんという人の
講演を聴いたからである。

いわく
美術品を見るときは、ただ物を見る、
ということが大事なのであると。
評価が高いから、とか
誰それの作品だから、とかではなく、
ただ物を見て、美しいと思うかどうか。
自分の感性を信じることが重要なのである。

そのお話を聞きながら
僕は、物そのものと対峙する、
ということにビビってる。
と思った。

美術品に限らず、
自分にとって未知のものと出会うとき、
これは、誰それの作品で、とか
余計な知識のフィルターを通してしまう。

読んだことのない小説の
まずあらすじを確認するのもいい例だ。

・・・
自分の物差しを、作ることだな、
と思う。

前情報のないまま、生で物と対峙して
評価を下すというのは、勇気の要ることだ。

自分と社会の評価が、大きくずれるだろう。
自分の物差しで、物を計るときには、
やはり、社会から孤立するのは避けられない。

でも、そういう恐ろしいところを、
勇気を出していかないと、
誰かの目を通してしか、
世界を見られなくなってしまう。

それはどうも面白くないと思うのだ。