矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

優しさとは何かを考えてみた


風邪を引いていて頭がくらくらして、
どうにもイライラするんだ。

僕は全然、優しい人間ではない。

と、とつぜん告白めいたことを言ってみた。
こういうことを書くのは好きではない。

自分が切実に感じていることは
とうぜん他人もそう感じて然るべきだ、と
そんな自分勝手なことを
考えている奴らがよくやる書き方なんだ。
(もう書き方がトゲトゲしいだろう)

だけど、
「僕はぜんぜん優しい人間じゃない」
と書かないと話が進まないから書くけれど、

優しくない人間というのは、
つまり
心が狭い人間、ということが言えるだろう。
他にも定義があるかもしれないけど、
さし当たって僕はこのタイプに当たると思うので
そういうことにする。

心が狭い人間というのは、
自分が許せる範囲、というものが極端に狭い。
他人の一挙手一投足がイチイチ気に触って
仕方がなかったりする。
イライラする。声を荒らげる。ふざけるなと言う。

理性ではわかっているのだけれど、
イライラがとまらない。
どうもこれは神経症の一種のようだなと思う。

いっぽう、優しい人というのは、
自分が許せる範囲が広い。
他人がどんな不行儀を犯しても、
「いいよ」
と言える心の広さがある。

心の広い人というのはどうも、
物事に無頓着すぎるのではないか、
と思うときがある。
でもそういう、いい加減さが、
「許す」
という行為に必要なんだろうと思う。

優しい人は、心にのりしろがあるのだ。
「しろ」というのは余裕のことだから、
つまりココロに余裕があるということだ。

本当は僕だって、物事をどうでもいいやと
軽く受け流してしまいたいのだ。
でもそれができないのはどうしてなんだろうと
首をひねっている。

もう優しくなりたいと思ったら、
出家をするか、あるいは物事に頓着しないような
訓練をつまなければいけないだろうと、
そんなことを考えている。

しかし、物事に無頓着であることが、
必ずしも良いことばかりであるとは限らない。
それもまた難しい問題である。