矢透泰文(ヤトミックカフェ主催者)はある日思ったのだ。
全力で書いて、きちんとコラムしてみたい。
全力で書いて、失笑を買ってしまうのもいい。

タイトルに特に意味はない。
意味がないことにも意味がない。
だから何だっていうんだ。

どーすんのよ?


このコラムは、つまらない内容になりがちだ。
何でかというと、
書いている僕当人の頭が、
なんだかガチガチに、なっているからである。

しかし、頭がガチガチの自分が、何だか
素の自分に思えるから始末が悪い。

俺ってつまらねえなあ。
・・・と、つくづく思う。

さいきんの、そう、ここ2週間くらい、
僕を包み込んでいた無力感が、どこから来てたのか、
ようやくわかった。

まさしくその
(俺ってつまらねえなあ・・・)
という実感からだ。

発端は、今の会社の仕事だ。
今から書くのは、会社の悪口ではないよ。

僕が今、月曜日から金曜日までやっているのは、
お客に納品するシステムのテストとか、
データベースをいじくる命令を書くとか、
そういう作業、である。

たいそうな作業に聞こえるかもしれないけれど、
実はそんなに大したものでもない。

僕がよく言うのは、
『説明すれば小学生でもできるような作業』
だ。

ウン、わかってる。わかってるよ。
大事な作業だよ。もちろん。
それはわかってる。わかってる。それはわかってるんだ。
注意深くやっているよ。
まあ、ミスもするけどもさ。


・・・でも、俺は今3年目だろう?


なんでこんな作業をしてるんだ?

僕より下の後輩たちが、良い仕事をしてる。
有益な作業をしてる。

それと比べて、俺は後輩から指示を受ける有様だ。
ヒドイもんだよね。

そんなの努力すればよいのだけれど、
しかしいつの間にかべったりはりついてくる無力感まで
元気よく振り払おう!ったって、無理なのだ。
だって現に、現状は、変わらないんだもの。



でも最近まで、というか今の今、ほんの1時間前まで、
僕はその、無力感の原因に気がつかなかったんだな。

原因は仕事にあるんだ! と、わからなかった。

何でかといえば、おそらく恥ずかしかったからだろう。

"できてない" 自分を、人に見られるのは恥ずかしい。
だけどそれ以上に、
自分自身で認めてしまう、ってのが、
いちばんのいちばん、
恥ずかしいんじゃないだろうか?

・・・
だから僕は、問題をすり替えてしまっていたんだろう。

サイトに人が集まらないだとか、
飲み会に行っても話題を提供できねーだとか、
そういう、
問題の本質の『まわり』しか見ていなかった。
『まわり』を、本質だと勘違いしていた。

問題をドーナツみたいに考えていたわけだ。

でもいくら『まわり』をかじってみても、
本質を見ようとしていない、空洞である限り、
問題は、解決には向かうことはない。

僕は恥ずかしいくらい、仕事ができてない。

かといって、じゃあ、今の会社で張り切れるよう、
コンピュータについてメチャクチャ勉強しようかな?
というのも、ちがう。
何かがちがうのだ。


・・・選択肢は、もっと広げられるべきなのだ。


「どーすんのよ?」

と、どこかのCMみたいに、声が聞こえてきている。
その声は、僕の耳のすぐそばで、聞こえている。

耳元で聞こえるんだよ。
ものすごく切迫した声で、

「どーすんのよ?」

って。