スズキさん、何か書きませんか、
と言ったら、最初は「え」と遠慮されていた。
でも面白いものができそうだったので、
是非、とお願いした。

その甲斐あったなあ、とつくづく思うわけですよ。

−第1回 生活について−


今回はヤトミックカフェのテーマでもある、
『生活』について書いてみることにします。

さて、まずは生活についてgoo辞書を使用し
調べてみました。
gooによると、

(1)暮らしていること。暮らしていくこと。暮らし。
(2)生きて活動すること。
(3)暮らしを支えているもの。生計。

というものを生活というらしい。

普段から使う意味としては、
(1)がもっとも多く、日々暮らしていることを生活と
呼ぶのはごくごく一般的な意見ではないでしょうか?
(2)についても一緒ですね。

さて、(3)についてはちょっと違いません?

暮らしを支えている物を生活と呼ぶ。
これはどういうことでしょうか?

次に生計についてgooで調べてみると、

(1)生活をしていくための方法・手段。くらし。生活。

という結果が得られました。
つまり、生活というのは、生きていくための方法としても
意味を持っていると言うことになりますね。

生活について考える、というテーマは実は、
暮らしていることを考える、
生きて活動をすることとはどういうことかを考える、
という意味の他に、

生きていく手段について考える、という意味でも
あったのです。

そう考えると、かなり深いテーマだと思いませんか?

実は昔の人はかなり怠惰であった、と言う話しを
聞いたことがあります。

昔というのは、江戸時代くらいでしょうか。
いわゆる職人さん達が多く活躍していた時代です。

というのも、彼らは日銭を稼ぐと遊び歩き、
お金が無くなると仕事に出向きというのを繰り返していた
というのです。
雨の日に仕事をするなんてもってのほか。
彼らが仕事をするのは、あくまで生きていく為に
仕方なくするのであって、
生活の根底にあるのは遊びということだったのです。

さて、それを考えると、このごろの日本人はかなりの
働き者になったものです。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。

ですが、忙しくなってしまった他が故にゆとりがなくなって
しまったのは事実でしょう。

昔の人は実によく近隣の人々とつきあいをしていました。
今はその片鱗も見あたりません。

もちろん、それは他人に干渉したくないされたくないという
気持ちが強くなってきたと言う理由もあるでしょう。

しかし、昔よりも生活に余裕が無くなってきているというのが
率直な理由ではないでしょうか。

余裕がないから人にかまいたくない。余計なストレスを
増やしたくない。
そんな感情がなんとなく見て取れるのです。

余裕を無くし、仕事しながら病気になってしまったという人を
沢山しっています。

もう少し余裕をもった生活ができないものか、僕はいつも
思っています。

きっと僕ら日本人には昔ながらの怠惰な生活が一番
あってるんじゃないかと思います。

昔ながらの貧しいが心が豊かだった生活に、僕はちょっと
憧れるのでした。

生きていく手段なんて、そこら辺に転がってるんだよ、と
思うのです。