舎流楼灯(しゃるろっと)さんのそばにある
「いま」。

そばにあるもの。あるいはあったもの。


41 駒沢通り


久々に手で触れるものについて書きます。

中目黒、恵比寿、自由が丘と、
まったり系おしゃれな街が大好きなのですが、

それらをつなげる駒沢通りは
やはりしゃるの大好きな道です。

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帰ってこない、
なんてタダの強がりなのかもしれません。

モノを作る方ならわかるかもしれませんが

25歳を越えると

自分が作った曲や書いた文章が
自分の人生と奇妙にリンクしながら
ぐるぐると回りだすのを実感するでしょう。

かつて
父と慕った(育ての父です)コピーライターは
自分の書いたものには常に責任を持て
と言っていました。

それは
間違えのないことを書くということじゃなく
発した言葉は必ず戻ってくるという
ことだったのだと思います。

責任を果たすとは、ただ受け止めること。

かつてしゃるの言葉は音楽でした。

良く喋る女の子ではあったけれど
いつもココロは不器用で、
話すのは皆を楽しませるためでした。

その頃、わたしはヴァイオリンを習っていました。
へたくそだったけど、ヴァイオリンが大好きでした。

そんな15歳のある日、
あるジプシーの曲と出会いました。

「チャルダッシュ」

と云う名のその曲にわたしは魂を奪われ
何百回と聞きました。

暗い海の底から一歩一歩力強く這い上がり
最後には明るく住んだ青空を
咲き誇る花たちを見るような
そんな音楽でした。

その曲を自分のものにしたくて
何度も何度も練習しました

16歳のわたしはその曲一曲を
弾くためだけに生きていました。
郊外の小さなヴァイオリン教室の発表会の為に。

17歳の誕生日の少し後、
その日はやってきました。

信じてもらえるかわからないけれど
そのステージには神様が降りてきました。


わたしはすごいものを知ってしまった。
すごいことを知ってしまった。


いつも誰かの為に生きていたわたしは、
他の誰のものでもなく、
わたしがわたしのものになる瞬間を知ってしまった。

伴奏をしてくれたのは
プロのピアニストのお姉さまだったのだけど

「何人もプロのヴァイオリニストの伴奏を
やってきたけれどあなたとの演奏が
今までで一番楽しかったわよ」

そういって握手かハグか、
何か素敵なスキンシップをしてくれた。
(グラマーでセクシーな素敵な
お姉さまだったせいで
余りにくらくらしてしまって思い出せない)

そして8年の月日が過ぎ、
いろいろあってわたしは音楽を捨てました。
自分の言葉を。

愛想笑いとお気楽なジョークだけを残して
わたしは空っぽになってしまった。

そして今年の3月ある日
某高級ホテルのパーティで仕事をしていたら
同じバイオリン教室で
わたしの次の時間にレッスンを受けていたという
年下の女の子から声を掛けられた。

「発表会で
チャルダッシュを弾いていましたよね!」

何かが帰って来た気がした。

あたまがくらくらした。

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セイヨウカエデの坂道を
夏の風に吹かれながら歩く