20 名前 その3
そんなに遠くない先日、
わたしは名前をひとつ封印した。
ちゃんとは覚えていないのだけど、
赤毛のアンはその人生の中で
空想遊びを心の糧として
不遇な幼少時代を乗り越えた。
アンより少し幼かったわたしは
それをみて彼女に倣った。
現実を嘆いて悲しい顔で日々を過ごすより
たとえ自分の頭の中のこととしても
ほんのちょっとの幸せに
肉をつけて形にして
服を着せてすてきにしてあげる
そんな生き方のほうがすてきに思えたから。
笑顔でいるのが困難な状況でも
にっこりと笑うことができるというのは
わたしの強さだったかもしれない。
だけど、そんな生き方は
わたしを追い詰めもした。
友情を知る年頃になって
わたしよりずっと恵まれていた友人たちに
嘘ではないにしろ
彼ら彼女らが知るわたしは
言葉の魔法と気の利いた小道具で作られた
虚像であるということを、
堂々とした振る舞いは
空想という実にあいまいなものに
支えられていたということを
大胆な行動は
苦し紛れの悪あがきであると
悟られるのは都合が悪かった。
本当のわたしを知られたところで
それが本当の友人なら
別に困らなかっただろう。
むしろ受け入れてくれたことに感謝しただろう。
なぜ何もいってくれないのだといって
泣いたり怒ったりしてくれたコだっていたのだから。
だけどわたしは手を伸ばさなかった。
わたしには庇わなければならないものが
あったからだ。
そんなにも感情的になって馬鹿だね、と
冷酷にも友人たちを一蹴した。
でもそれは同時に手を伸ばしたい自分を
一蹴することでもあった。
でもおかしいんだよね。
自分ってやつは、
蹴っても蹴っても
まだ生きてるんだ。
しぶとく生き残った自我が
いろんな名前を語って
わたしの休憩時間を狙っては
勝手に体を使い出す。
だから、わたしにはたくさんの名前があった。
頭の中でいろんな人が喋っていた。
だけど今、少しずつ
頭の中が静かになっていく。
たくさんの名前たちがその役目を終えて
少しずつ昇華していく。
何でかって?
そうね、うふふ。
またそのうち教えてあげる。