15 カラダとココロ5
結局、
混乱と恐怖をはらんだまま
現実的に生物学的な性別を名乗って
社会参加するのがいろいろと問題が
少ないので、
女性という性別を半ばもてあまし、
一方で罪悪感を伴いながらしゃるは成長した。
そして、しばしば
土台が危ういと比喩され注意されながら
大人になった。
いつも精一杯やっているつもりだったし、
いつも人並み以上の結果を出してきたつもりでは
あったので
そんな風に言われる理由がいつもわからなかった。
だから単純に
相手にとって満足なメリットを
もたらせていないのだ
と納得して
何となく悲しかった。
土台が危うかろうと、
出すものは出しているじゃないか、と。
しかし、歳を重ねて
様々なバックグラウンドの人たちと
コミュニケーションするうちに、
どんなに相手に対するメリットや結果で
眼をくらまそうとしたとしても、
その後ろにある感情は何となく
透けて見えてしまうのが
人という生き物だということを知った。
そしてどちらかと言うと人は
メリットのその後に透けて見えるものを
食べて生きているのかもしれないと
直感的に思うようになった。
しゃるはいつも
他人とは違う苦しみに晒されていたため
いつも自分を人とは違うんだと
自分に言い聞かせてきたけれど、
それで何とか乗り切った山もあったけれど、
そう言い聞かせていたことで
見えなくなっているものも多分あったのだろう。
純粋にメリットがほしかった人はともかくとして、
少しでもしゃるを理解しようと努力してくれた
人たちには
しゃるのココロの奥深くに押し込められた
自分が女性であることの恐怖が
感じ取れたのだと思う。