第6回:やぶ → 矢透  2009/12/06

すっかり秋が深まって、涼しいどころか
寒いくらいですね。
読書が進むのはいいのですが、あんまり読み過ぎると
湯あたりならぬ「本あたり」するのが辛いです。

頭が重い、目が疲れる、肩が張る、
人と話すのが億劫・・・
ああ30歳が近づいてきたんだなと実感します。


必要な情報とは、いったい、何なんでしょうね。


必要な情報って、意外とシンプルだと思うんですよ。

たとえば「女にもてない」という、
大いなる悩みを抱える青年がいるとします。
(お前のことか、といわれそうですが、
仮の人物ということにしてください。)

彼はどんな情報を欲しているだろうか?

1:女にもてるための方法論
(ファッション雑誌とかもその変奏ですよね)


2:女にもてる男の話(憧れ)
あるいは逆に、もてない男の話(共感)


3:「女にもてなくても平気」になるための
趣味や仕事に関するあれこれ(逃避?昇華?)


ちょっと考えてみれば、男の買う本って
けっこうこの枠に入っちゃうんですよね。
つくづく情けない生き物です。(笑)


「図らずも泣いてしまう」というのではなく
泣くために泣く、とか、「泣く」ことが
目的化してきた気がします。

僕は決して冷血人間ではありませんが
そんな「泣ける」ものがいいのかよ!ケッ!
と思ってしまいます。


僕も同感です。
帯に「泣ける」なんて書いてあったら、
まず手に取らないですよね。

ところがこの間、バレンタイン監督の
ホームゲーム最終戦のテレビ中継を見ていたら
(僕はロッテファンです)
さよならセレモニーで思わず泣いてしまいました。

どうせ代理店の仕組んだあざとい演出なのに(笑)

涙を流すなんて相当久しぶりのことでしたが、
すごく気持ちよかったです。
泣くというのもいいもんだなぁ、としみじみ思いました。

ただ、
泣ける話のブームも、そのうち終わると思いますよ。
時代が変われば、人の求めるものが変わり、売れるものも
変わります。

この間は偉そうに出版人の使命や理想なんて
語ってしまいましたが、
一方では飯の種、食べるための仕事でもあるので、
時代の流れを読みながら、次に売れそうなものを
考えています。

後世に残る本を作る、というのは出版人の夢ですが、
考えてみれば、いま名作と呼ばれているものだって、
新刊として出た当時は、必要に迫られて出版され
それが世の人々に受け入れられることで、歴史に
残ったはずです。

古い本を読んでいると
なんでこんな本が売れたんだろう、
と思うことがありますけど、

当時の人がどうしてこの本をむさぼり読んだのかを
考えてみると、
また読み方が広がるんじゃないでしょうか。

(次は、矢透→やぶさんです)




やぶ
編集者をめざして中くらいの出版社に入るも
なぜかスーツを着る営業部隊に。
それはそれで居心地がよくて、はや数年。

「お客さんのほしがるものをすっと出す」
がモットーですが、時にははずして怒られたり。

やぶさんの参加するブログ: ブックブックこんにちは

矢透
ヤトミックカフェ店主。
「趣味は読書」とは決して言えません