映画『エビータ』は、何を描いたか?
音楽研究家、上田ひろし氏がばらまく、
知のエンターテインメント!

音楽から、政治も、男女関係も、マドンナ論(!)も
呑み込んだ、全4回のお楽しみ。


1:イントロ

今年(2007年)は、アラン・パーカー監督の映画『エビータ』の日本初公開から数えてちょうど10周年に当たりますが、べつにだれもそのことで騒いではいないでしょう。

とはいえ、日本におけるアルゼンチン共和国の知名度維持にはたいへん貢献してきた映画なので、これを期に振り返りつつ、少しアルゼンチンの音楽話などしてみたいと思います。

周知のとおり、この映画は、イギリスのアンドリュー・ロイド=ウェバー(作曲)とティム・ライス(作詞)というロック・オペラの名物コンビによる舞台ミュージカルが原作で、 いまだに劇団四季も公演を続けているので、あるいはそちらの方がお馴染みかもしれません。

「エビータ」とは、恐らく世界でいちばん有名な大統領夫人の一人といえるエバ・ペロンのことで、その夫が、アルゼンチン史上いちばん有名な大統領であるフアン・ドミンゴ・ペロン(在任:1946‐1955年、1973‐1974年)です。

ペロンは、アルゼンチンの下層階級にあたる労働者たちの地位向上という声明を振りかざして彼らから熱狂的な支持を得た、いわゆるポピュリズム型の大統領でした。

19世紀以来アルゼンチンを支配してきたヨーロッパかぶれの一部のエリートや大地主たちを押さえこみ、また銀行や鉄道の国有化・国内の工業化の推進などにより外資を駆逐することによって、経済的にも文化的にも独立した、庶民の庶民による庶民のための
「新しいアルゼンチン」
を構築するというのが、ペロニズムの宣伝文句でした。

その第1次ペロン政権を、ペロンと民衆との間の「架け橋」となって支えたのが、エビータだったというわけです。

映画の前半部分では、エビータは、地位と名声のためには権謀術数を厭わない野心家として描かれています。

片田舎に私生児として生まれた貧しい少女がファーストレディーの座を射止めるまでには、事実数々の男性を遍歴し、彼らを利用してきたと言われています。

「男と寝て権力を手にしたばいた売女」というのは、ペロン&エビータの“福祉”政策のしわ寄せを被った上流階級の人々がエビータに対して抱く共通認識です。

一方で貧しい下層労働者たちからは「聖女」と慕われたエビータ。

このように、「売女」と「聖女」という両極のイメージを抱え込んでいるところこそ、主演エビータ役を買って出たマドンナのイメージと見事なまでに重なる点であり、これは明らかに魅力的な配役といえましょう。

(2:につづきます!)