最後には映画の話になる日記
2006/10〜2007/03


Date:2007/03/19 Mon
Title:本谷有希子に恋してる


最近気になっている作家に
本谷有希子(もとやゆきこ)
という人がいる。

劇作家で演出家で俳優だ。小説も書いている。
ENBUゼミという演劇ゼミで松尾スズキの
クラスにいた彼女は、

「私は俳優に向いていないから、
何か他にやれること・・・。書くか」
みたいな勢いで書き始めたらしい。

「書けたので、公演やろう」
てことで人を集めて、
「劇団名を決めなきゃ。うーんと、
『劇団本谷有希子』でいいや」
てな感じでやった旗揚げ公演

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

という傲慢なタイトルのアツイ舞台。
それは、のちに再演され、この初夏に映画化される。

僕が彼女を知ったのは、
『honnin(本人)』
という松尾スズキがスーパーバイザーを務める
季刊のA5版の雑誌だ。この春で3号目が出た。

その中で、本谷は
『改めて!ほんたにちゃん』
という小説を連載している。
彼女の処女作を少し修正して載せているらしいが、
僕は読み始めてすぐに吸い込まれた。

主人公の本谷(ほんたに)は写真の専門学校生で、
クラスでは誰とも喋らないで浮いているタイプ。
しかしそれは彼女の計算で、
こういうタイプの方が
「実はすごいハイセンスな内面を持ってるんじゃないか」
みたいな風に見られやすいから、
そのうち必ずクラスメイトのようなくだらない会話をしている奴らを
出し抜くことができる、と考えてのキャラ作り。
救いようのないアホな考えの持ち主、それが本谷ちゃんだ。

物語は3話目にしてもうすでに彼女のアホさが
露呈し始めているのだが、僕は彼女のそのアホな考えに
強烈なリアリティを感じた。
本谷のこの浅はかな考え方、薄さ、悲しさは、
涙が出るほど理解できる!

「コレ、俺のことじゃん・・・」

喋らない暗いタイプの人がある時自我に目覚めると、
えてしてこういう浅はかな考えに陥りやすい。
本谷ちゃん程ではないにしても、
これはほぼ学生時代の自分だと思った。

若いときには誰にもあることだと思うが、
普通ならそのうちに「いや、これではまずい」と気付いて謙虚になり、
何かしらの努力を始める。
ところが、
この小説の本谷ちゃんには今のところその動きが見えない。

どうなる? 本谷ちゃんの人生。
「お願い!改めて!」と、
まるで自分を応援するように毎号読んでいる。

先述した『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』にも
同じテーマが根底にある。
この話の主人公は、女優志望のエゴイスト。
才能がないくせにいちいち女優ヅラし、揶揄されると
「センスのないあんたに何が分かる!」
とキレて暴力を振るう最低女だ。
彼女が親の死をきっかけに里帰りし、どんどん家族関係を壊していく。

どこかのインタビューで
「『腑抜けども〜』は、下手をしたら自分がこうっちゃうかもしれない、
という未来の自分の姿を描きました」
と本谷は言っている。

【エゴイスト=自分】の図式が、
彼女自身の胸をグサリと刺し、僕の胸をもグサリと刺す。
彼女は自分自身のエゴと若さに怯えている。それは僕も同じこと。

本谷有希子=自分

だから彼女が気になっている。

しかも、噂によると本谷はカワイイらしい。
これは恋かもしれない。

ああ、ヒドイ締めだ。すみません。



『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
監督・脚本:吉田大八 原作:本谷有希子
主題歌:チャットモンチー「世界が終わる夜に」
出演:佐藤江梨子、佐津川愛美、永作博美、永瀬正敏ほか
初夏、シネマライズ他にてロードショー!


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Date:2007/02/02 Fri
Title:ナンダカンダ思ったって


いつも読みやすいように改行してくれている
矢透氏に感謝。大変な作業だろうに、ありがとう。

ところで先日、
母校の美大の卒業制作展を観にいって
油絵などを観回りながら、

「これはイイな」「これはイマイチだな」などと
思ったのち、帰って思い出してみると、
何が良くて何がイマイチだったのか、
基準がなくてフワフワしていることに気が付いた。

「あ、なんかこれ好き!」
と思った事実だけ覚えていて、あとはぼんやりしている。

とてもまずい気がしたので、
一つ真剣に作品を観るということについて考えてみた。

まず、ある作品を観て、
ごく個人的な「好き」「嫌い」という主観的な判断がある。
漫画をパッと見て、「この絵好き」みたいな理性的なやつだ。

一方で、
批評家のような全体を見ながら判断するやり方がある。
「歴史的に見て誰もやっていない。新しい」
「技術的に見て飛びぬけている。巧みだ」
「彼の一連の作品からしたら、異色だ。転機だ」
こんな感じだろう。
ここには客観的事実のみで「好き」だの「嫌い」だのは存在しない。

このように作品の見方には、
「主観的」と「客観的」のふたつあるわけだ。

文字にしてみると単純だが、
この二つは常に隣りあわせで、気を抜くとすぐに混同してしまう。

つまり、人は全ての物事を知っているわけではないから
100%客観的にはなれないし、
だとすれば少なからず主観は入ってくるわけで
それは1・9だったり8・2だったり5・5だったり
するはずだ。

普段
「あ、いま何かを判断したのは8・2だったな」
なんて意識しないから、何か作品を見るときも意識しないまま
普段の生活の延長で見てしまうことがままある。

この状態だ。
卒業制作展でナンダカンダ思った僕はこの
「今、主観対客観が、何対何で作品を観ているのか」
を意識していなかった。
だからふわりとした印象しか残っていなかった。

これでは人に
「どうだった?」
と聞かれても、うまく答えられない。
「良かった」「面白かった」「イマイチだった」
そんな言葉が並ぶだろう。

これでは何かを人に伝える仕事をする人間としてまずい。
自分が感じたことを分析してこそ、作品鑑賞なんだろう。
それに気が付いた。
「作品を観るときは切り替えろ」ということだ。

さて、M・ナイト・シャマラン監督の
『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観た。
観終わって「なんだこれ?」と主観的に思ったあと
客観視するためにいろんなレビューを読んでみた。
そうすると、見えてきた。
自分が何対何でこの映画を観ていたか。
なぜ「なんだこれ?」と思ったか。
シャマランはどういう人か。結果この映画が好きか嫌いか。

やっと作品を観た、ような気がした。


レディ・イン・ザ・ウォーター


監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワードほか

ホラーじゃありません。ファンタジーです。おとぎ話です。
内容についてはそれ以上言いません。
ただ単純に見過ごすと
「なんてつまんない映画!」
で終わる可能性大です。

それで切り捨てず、
シャマランがやろうとしていることを考えてみてください。
それを汲み取ってあげてください。
シャマランについては、死ぬほど映画が好きな
インド人ハリウッド監督であることは確かです。

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Date:2007/01/23 Tue
Title:一日に映画は8本まで可能


僕はバカかもしれない。

半年くらい前のある日、
何週間か(と言ってもせいぜい2週間ほどだが)
映画が観れなくて悶々としていた気持ちが
解放された久々の休みの日だった。

朝、勢いよく家を飛び出した僕は、
恵比寿でやっていた溝口健二という監督の
特集上映に向かい一気に2本観た。
その足で渋谷に移動して
アカデミー賞作品『クラッシュ』を観、
終わるとすぐに雑誌「ぴあ」を開いて、
「今から観れるやつ…」
と呟きながら、評判悪いから普通なら観ないが
この勢いなら観れる!と踏んだ『ゲド戦記』に飛びつき
(途中で金券ショップに寄って300円安い前売り券を
手に入れることを忘れない)
終わったら「さすがに腹減った」ともがきながら
「ぴあ」を開くとちょうど20分後に
普段なら90パーセント以上の確率で観ない
『ハード・キャンディ』が。
なぜか「これはコンビニ飯か」
と諦めたように腹をくくり、普段なら入りたくもない
恋人たちの巣窟シネマライズに足を向けていた。
そして『ハード・キャンディ』は予想通り
イマイチであることを確認したのち、時計を見ると21時前。
その時思ったのが、

「あ、レイトショーも観れる」。

コラ、どんだけ観るんだ!
とさすがに自分で突っ込んで、
「じゃあ、観ない〜」と、

<本当はもう1本可能だけど敢えて観ない>

というよくわからない優越感に浸りながら帰宅したのであった。
書いていて思うが、バカだ。

しばらく映画を観られず、観るべき映画が溜まっているという
強迫観念からこういった行動に出ているのだが、
もはや映画鑑賞自体が目的になっている上に、
<敢えて観ない>って、だからどうした!
お前くらいだそんな物好きは。

このバカがこの間の土曜日に再発した。

観なきゃと思っていた映画が
同じ日に3本公開されることを知った時、

「あ、一気に見れる」

と、例の一日6本の観賞が可能であることを証明した
あの日を参考にし始めたのだ。

仕事を終えて新宿でレイトショーで
『それでもボクはやってない』を観て六本木へ移動。

六本木ヒルズのオシャレな映画館
(実は初めて行った。ここは土曜はオールナイト上映をしている)
で『不都合な真実』と、
飯食ってから『マリー・アントワネット』を観た。

終わったのは朝5時。
思ったことは、

「6本+オールナイトで2本。土曜なら一日8本可能ってことだな」。

バカか。誰がやるんだ。

しかし、やるならバカな自分しかいない。
「一日8本可能」という情報だけ思い出して、
いつか実行するんじゃないかと思うと怖い。

映画鑑賞についてのみ、浴びるように観たいと思うあまり、
気を抜くと物理的に可能か不可能かで考えてしまうようだ。
さまぁ〜ずの大竹が動物を乗れるか乗れないかで判断するように。

この間も深夜3時からの『マリー…』はさすがにキツかっただろう?
その情報も覚えておきなさいオレ。


(星3つで満点)

それでもボクはやってない(★★★)


監督・脚本:周防正行
出演:加瀬亮、役所広司、瀬戸朝香、大森南朋、小日向文世ほか

『Shall we ダンス?』の周防監督が、
今までテレビや映画でやってきた裁判モノとは違う
本当の裁判とその問題点を知ってもらおうと、
3年間研究して作った、痴漢冤罪事件の物語。
システムというものの限界がはっきり見える。

加瀬亮が天才的。役所広司がかっこよすぎ。
個人的に好きな役者が揃っているという+αも含め、
文句ない作品。
フィクションなのにドキュメンタリーのように入り込んでしまった。
周防さんの映画センスはやはり抜群だ。


不都合な真実(★★)


監督:デイビス・グッゲンハイム 出演:アル・ゴア

「一瞬だけアメリカの大統領だった」ゴア氏が、
ずっと前から続けてきた
「地球温暖化がどれだけまずいことになっているか」
を説く公演を収録したドキュメンタリー。

観ている途中は「ぜったいヤバイ! 地球を守ろう!」と
こぶしを握っていたのが、
観終わって外に出ると「ケッ!」と思ってしまう自分に、
人類の愚かさを感じた。

しかし、観れば分かるが、マジで近い将来、
地球は絶望的にヤバイようだ。
我々が生きている「今」が既に正念場であることを、
分かりやすく教えてくれるゴア氏は、救世主に違いない。
全人類、観よ。
星2つにしたのは、プロパガンダ映画みたいな圧力が
正直怖かったから。でも、これ観ないで子ども作っちゃダメ。


マリー・アントワネット(★)


監督・脚本:ソフィア・コッポラ
出演:キルティン・ダンスト、ジェイソン・シュワルツマン、ほか

東京が舞台の
『ロスト・イン・トランスレーション』をヒットさせた、
フランシス・フォード・コッポラの娘ソフィアの新作。
マリー・アントワネット生誕250周年記念として作られた。
ソフィアらしい少しコミカルな表現、奇抜な音楽の使い方、
それはいいけど、うまく生かせてない。

アントワネットはギロチンにかけられる悲劇のヒロインなんだから
そこは逃げずにしっかり悲劇に落とし込んだ方が
ソフィアらしさも活きると思うんだが。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にはすまいとする
強い意志があるのかもしれないが、
それにしても終わり方に問題がある。
アントワネットのキャラクターにも、リアリティが欠けていて
一貫性がなかった。あれだけの衣装代、撮影費がもったいない。


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Date:2007/01/21 Sun
Title:にっぽんにアニメーションあり


謹賀新年。
日記を1ヵ月以上ほったらかしにしていてスミマセン。

正月に実家に帰ったら、
マンガ「のだめカンタービレ」が最新刊まで揃っていて、
一晩で読破し、前から興味があったクラシックの世界に
まんまと引きずりこまれた感動と、
マンガそのものの面白さにホクホクし、
ついにはクラシックCDも購入してしまった。

先々週から「のだめ」のアニメも始まった。
火曜の「デスノート」と木曜の「のだめ」を
楽しみにして一週間を過ごしている、
というあまりの平凡さに呆れながらも、

「面白いものは面白いし好きなものは好き」

という開き直った態度で堂々と楽しむことにしている。

気が付けば、上記の2つのアニメを含め、
最近僕の周りでアニメ率が上がっている。

年末から年明けにかけて劇場で見た映画を
評価点数(★3点満点)と共にザッと挙げると、

『鉄コン筋クリート』:松本大洋原作のアニメ。(★★★)
『硫黄島からの手紙』:クリント・イーストウッド最新作。(★★)
『犬神家の一族』:市川崑によるセルフ・リメイク。(★)
『インビジブル2』:かのB級名作『インビジブル』の続編。(★)
『パプリカ』:筒井康隆原作のアニメ。今敏作品。(★★)

で、5本中2本はアニメだ。しかも2本ともよかった。

何を隠そう僕はもともと、
高校時代に『もののけ姫』を7回観に行って
美大に行くことを決心したアニメ好きで、

昨年は『ゲド戦記』のあまりの悲惨さに
密かに肩を落としていたところに、
一時期に2本も優れたアニメーションに出会えたのは収穫だ。

そこで今日はこの2本のレビューを。


『鉄コン筋クリート』


監督:マイケル・アリアス/出演:二宮和也、蒼井優、伊勢谷友介ほか

松本大洋の素晴らしい原作を踏み台にしてさらに高く
「飛んだ」傑作と言えると思った。

スタジオ4℃のアニメーションなら
あの「宝町(たからまち)」の世界観を再現できる、
という確信がみなぎっていて気持ちがよかったし、

原作のストーリーには手を加えなくてもイイモノができる
という姿勢が、原作への理解の深さと敬意を感じ、
原作好きの僕も納得できた。

予備校時代に友達に『鉄コン』を教わって
読んだときのあの感動が、7〜8年後の今になって
「当時のまま+α」で味えるとは思いもよらず、
その驚きと嬉しさで思わず泣いた。

「当時のまま+α」ということをもう少し分析してみると、
「当時のまま」の感動としては、やはりセリフがいい。

大洋のストレートで優しい言葉たちが、
思いっきり見る者の心に入ってくる。
木村がネズミを殺す場面は名ゼリフだらけだ。

+αの部分は2つあって、一つは声優。

蒼井優がシロ、二宮和也がクロそのものになっていて、
声優の存在など気付かないくらいだった。

もう一つの+αは、なんと言えばいいか、

「圧倒的な<ありあり感>」。

これはスタジオ4℃の前作『マインド・ゲーム』にも共通する点で、
ここがスタジオ4℃の強みだと思うのだけど、

「心象風景」というか、
「未知なる風景」「歪んだ風景」の<ありあり感>が圧倒的だ。

「見たことがない風景だが、見たことがある!」

そう叫びそうになる、手に取れそうな心象風景。

見終わったあとに、なにかのセラピーの後のような、
開眼したような気にすらなるある種の体験は、
映画+アニメーションの見事な新境地だと思う。

ただ、若干前作と似ているテイストも感じたので、
そこんとこを頑張ってもらえたらと思う。


『パプリカ』


監督:今敏/制作:マッドハウス/出演:林原めぐみ、古谷徹、江守徹ほか

「見たことがない風景だが、見たことがある!」
という『鉄コン』と同じ点で優れているのが、
「夢」が暴走する物語である『パプリカ』だ。

筒井文学はたくさん読んでいるわけではないけど、
おそらくこれは最高潮に筒井的作品
(つまり、SFでエロくて大破壊があり、混沌が訪れるみたいな)
だと思われる『パプリカ』を、
これまた恥ずかしながら一つも作品を見たことがないのだが、
今をときめく今敏(こんさとし)監督作品がアニメ化するというので、
期待して観た。

小説のごちゃごちゃした人間関係を整理し、
『「夢」の映像化』に的を絞っているのでわかりやすい。

ラストは強引にまとめた感があるが、
これだけ壮大で滅茶苦茶な作品を90分で
まとめたんだから仕方がないし、

やはり氾濫する「夢」のイメージの
<ありあり感>に注目すべきだと思う。

ストーリーは、他人の夢にもぐりこめるDCミニという
研究途中の端末が盗まれて悪用され、起こる出来事が
夢なんだか現実なんだか分からなくなってくるというもの。

七五調の意味不明な言葉、人形やカエルなど神がかったモチーフ、
走り出すと歪む床、誰もいない遊園地、何度も訪れる同じシーン、
そのすべてがあまりに「夢」そのもので、
あんぐりとイメージを浴び続けるしかなかった。

観終わったあと、ある種の精神病を経験したような
気持ちになるくらいリアルだった。

深層意識、つまり夢の世界がいかに深く、
そこから抜け出せなくなるということがいかに恐ろしいか、
<ありありと>感じられた。

今敏作品は初めて観たけど、絵が綺麗で、期待以上に良かった。
作画監督が安藤雅司だというのも高感度アップだ
(『もののけ姫』『千と千尋』の作画監督)。
『東京ゴッドファーザーズ』も『千年女優』も見なくては
いけないと思った。
もちろん、筒井文学ももっと読まなくては。


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Date:2006/11/29 Wed
Title:生きる=教養+作る


本を読むにしても、ただ読むのは簡単だ。
読み終わって「面白かった」と言えばいい。
しかし、それでは読んだ事実しか残らない。

せっかく読んだんだ。
読んだ事実以外の「何か」を自分に残さなくては
いけないと思う。

「面白かった」「すごかった」「おいしかった」
「よかった」「まあまあだった」「いまいちだった」
・・・・・以外の『何か』。

これを残さないなら、
本を読んだり上等なものを食べたりする意味がない。
それはつまり、生きてる意味がない。

現代の若者が、この病気にかかりつつあると思う。
つまり、何も考えてないし感じてない。
感じていても意識していないし、後々まで覚えていない。
「今が大事。それでいいじゃない」
という安易な生き方だ。

こういう人は少なくともモノの作り手にはなれない。
ということは、子供も作れない。
もちろん作るだけならできるが、育てられない。
何も教えられないのだもの。
つまり、動物に成り果て、ただの遺伝子の舟になり、
生きている価値のない人となる。

私も病気にかかっている。
他人事じゃないから、こうして記録をつけている。
映画について、世の中について、人生についての
教養を培いたいから。

『何か』を感じ、作ろう。生きよう。

最近、
『愛についてのキンゼイ・レポート』
という映画を観た。
セックスについての研究に明け暮れた
キンゼイ博士の生き方は、不器用でぶしつけで、
決して模範的とは言えないが、
彼は確実に「生きた」と思う。

「生きる」とはこういうことだ。



愛についてのキンゼイ・レポート
監督・脚本:ビル・コンドン
出演:リーアム・ニーソン、ローラ・リニー、他

実在したキンゼイ博士の伝記。
動物学者の彼は、人々を性についての誤解や
恐れから解き放つために、
のべ1万8千人のアメリカ人を調査して性生活を調査し
「キンゼイ報告」にまとめた。
性という陰の領域に人生をかけて立ち向かった彼の物語から
「セックスの本質」と「愛の本質」を発見して欲しい。




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Date:2006/11/13 Mon
Title:ゆれた!!


『ゆれる』 をとうとう観た。
こんなに長い間見逃していた自分を心から恥じた。
これはすごい!!!!!
完璧なフィルムだ!!!!!!!!!!!

『ゆれる』には、変化があった。
成長があった。衰退があった。幸福があった。後悔があった。

そこには家族があった。
父がいて、兄がいて、弟がいた。母はいなかった。

仕事があった。社会があった。
東京があった。田舎があった。

確執があった。上っ面があった。悪意があった。
ウソがあって、真実はどこかにあった。
確かな時間がすべてを押し進めていた。

『ゆれる』には、自分がいて、他者がいた。
男がいて、女がいた。
恋があって、キスがあって、セックスがあった。

嫉妬があって、葛藤があって、困難があって、
暴力があって、涙があった。思い出があって、
現実が目の前にあった。

『ゆれる』には、笑顔があって、仰天があって、
激高があって、絶望があって、吹っ切れがあって、
闘いがあって、隔たりがあって、
切っても切れない縁があって、

許しがあって、叫びがあって、信頼があって、
子どもがいて、大人になって歳をとってしまった人々がいて、

酒があって、理屈があって、孤独があって、
死があって、ふとした瞬間があった。

人間が確かに存在していた。

『ゆれる』には、距離があって、向きがあって、空間があって、
高さがあって、崩壊があって、
記録するもの(写真・フィルム)があって、

エンジンのかかりにくい車があって、
移動する乗り物(高速道路・電車・バス)があって、

さまざまな作業
(撮影・現像・法事・葬式・挨拶・食事・料理・洗濯・・・)
があって、

電話があって、トンネルを抜けて、
よくわからない視点があって、水の流れがあって、

リズムがあって、回想があって、スローモーションがあって、
無音があって、言葉があって、警察があって、

実験・検証があって、裁判があって、
最後まで謎があって、ほんのすこしの強引さがあった。

気がつくと、主人公と自分自身の人生が
より良いものとなるように祈りながら
映画館を出る自分がいた。

それは、まさに映画そのものだった。
詰まっていた。凝縮されていた。完全にしてやられた。

西川美和。西川美和。西川美和・・・。
この名前が、怪物になった。



【西川美和】
32歳。
『ワンダフルライフ』『誰も知らない』の
是枝裕和監督に見初められ、
『蛇イチゴ』(02年)で監督デビュー。
『ゆれる』は、オムニバス映画『female』を挟み、
4年ぶりの長編。
本作は『蛇イチゴ』と同様に、自身が見た夢を元にしている。

夢という単純な着想点から、ここまで「正しくて完璧」な
フィルムづくりをする技量と根性と知識と感覚と判断力は、
すばらしいの一言。
オリジナル作品でここまで到達できている映画作家が、
いま日本にどれだけいるだろうか?

「私は、本当に作りたい映画はそんなに何本も作れないと思う」

という発言をさらりとできるところに、
この人の勘の鋭さ、そしてさらなる怪物性を感じる。

『ゆれる』の評価はしばしば俳優の演技の素晴らしさに
向けられがちだが、脚本・配役・演出の3拍子そろえた
西川監督の力あってこそなのだ。


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Date:2006/10/31 Tue
Title:うつろひゆくな! 季節!


やっと、毎月やってくる情報誌の山場がひと段落した。
もっとスピーディーにやれないものかと毎回思うが、
自分の能力が追いつかない。毎月自分にガッカリである。

そんなわけで、1週間ほどは映画を観ていない。
今までの経験からして、映画というものは一度観なくなると、
あっという間に遠ざかり、
下手をすると1ヶ月くらい観ないですごしてしまう。
これではいけないので、こうやって日記で奮い立たせているわけだ。

ところで、もう11月らしい。早い。

何ゆえ私をそんなにけしかけるのだ!待て!季節よ。
気がつくと、劇場映画がたくさん更新されているではないか。
よし、ここで、この1ヶ月で観ておくべき作品、
気になる作品を一挙にあげて、自分に叩き込むことにしよう。

●『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』
これは2本セットで観なくては意味がない。
注意してみていないとすぐに死んでしまいそうなくらい
おじいちゃんになったクリント・イーストウッドが
監督した戦争映画だ。
全く、とんでもない体力、とんでもない映画野郎だ。好きだ。

●『レディ・イン・ザ・ウォーター』
M・ナイト・シャマランという、
かっこいい名前の映画監督が作った最新作。
若くして『シックス・センス』をヒットさせて以来、
ずっと注目を浴びている鬼才だ。
あらすじを見ると、
「アパートに突然現れた妖精のような娘と、
彼女を救うために団結する住人たちを描いたファンタジードラマ」
と、よくわからないが、とにかく評判がいい。
評判がいいなら、行かなくてはなるまい。

●『カポーティ』
カポーティという作家は全然知らなかったのだけど、
予告編を観たときにこの作品は面白いと分かった。
近頃は、映画を見慣れてきたせいか、
予告編を観れば、面白いか面白くないかがわかるようになった。
俳優・フィリップ・シーモア・ホフマンが、
カポーティという独特な男(メガネ・声が高い・喋り方が変・ゲイ)
を演じ、第63回ゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞した。

●『ワールド・トレード・センター』
駄作と聞くが、それでも9.11モノなら、映画ファンとしては
観ておかなくてはならないだろう。
見逃した『ユナイテッド93』も池袋・新文芸座でやるので、行かねば。

●『エコール』
ルシール・アザリロヴィックという
覚えられない名前の女性監督が作った、
「女性にしか作れない」と評判の映画。
あまり自分の趣味には合わないと思うが、評判がいいので。

●『明日へのチケット』
『木靴の樹』のエルマンノ・オルミ、
『桜桃の味』のアッバス・キアロスタミ、
『麦の穂をゆらす風』のケン・ローチが共同で監督した映画。
ぶっちゃけオルミって全然知らないし、ケン・ローチも名前だけ・・・。
だがキアロスタミだけは自信を持って、「映画の大天才」だと
知っているので、それだけで観る価値はある。
しかも評判がなかなかいい。

●『百年恋歌』
台湾のホウ・シャオシェンという発音しにくい名前の監督の新作。
この人の前作は、
日本の神田が舞台で一青窈と浅野忠信が主演した『珈琲時光』。
ついこの前、渋谷・シネマヴェーラでホウ・シャオシェン作品の
特集上映をやっていたのに一度も行けず。面目ない。

●『地下鉄に乗って』
篠原哲雄監督。
駄作らしいが、初めて地下鉄の駅構内での撮影を許可された
作品だというのと、外に出たら昭和にタイムスリップしていた
という設定が、やっぱりそそる。駄作でもいい。見届けたい。

●『涙そうそう』
大したことはないと思うが、意外とよく出来ているらしい。
しかし、コレを観るなら同じ原作者の『いま、会いにゆきます』も
観て比べたい。
雑誌「キネマ旬報」にこの2本が対として紹介されていたので。

●『オトシモノ』
つまらないとは思うが、
私の心の師匠・黒沢清監督と『ドッペルゲンガー』という作品で、
脚本家として組んでいた古澤健という人が監督した映画なので、気になる。
たぶんつまらない。そしてたぶんもう公開してない。

●『マイアミ・バイス』『パビリオン山椒魚』『ゆれる』
『ストロベリーショートケイクス』

これらはもう観れないだろうな・・・はぁ。
新文芸座などの心ある名画座に賭けるっす。


【クリント・イーストウッド】
天才俳優であり、天才監督。現代映画の生きた化石。
まさに映画のために生まれてきた男である。
『許されざる者』『アウトロー』『ミスティック・リバー』
『ミリオンダラー・ベイビー』など傑作多数。全部観て損なし。





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Date:2006/10/21 Sat
Title:ああ、怠けたい。


僕は雑誌を作る仕事をしているので、映画を見る力より
雑誌を作る力の方が、今切実に求められている。
僕は昔から雑誌を買う習慣がほとんどないから、
無理してコンビニや本屋に長時間立ち、
雑誌にまみれるくせをつけるようにしている。

映画は好きで観てるわけだけど、
それでも難なく観れるわけではない。
色々調べて、時間を作って、目標を持って観ていかないと
追いつかない。

どっちにしても気力と根気と意欲。
ツライような、楽しいような。

でも、今までの人生、充分だらだらだらだらと怠けて
過ごしてきたから、
ここらで大きく清算しないといけないと感じている。
成長しないといけない。ああ、怠けたい。

昨日は溝口健二の没後50年の記念上映(恵比寿)の最終日。
『楊貴妃』になんとか間に合った。
(正確には10分遅刻だけど、たぶんあんまり見逃してない)。

中国の皇帝の話を、日本人が日本語で演じても、
中国の話になるのだなぁ、と感心した。

溝口は「映画をうそ臭くしない」ポイントを事細かに
知っているに違いない。
中国に見えたのは、衣装や美術によるところが大きいのは確かだが、
それにしても、俳優が日本人に見えた瞬間は一度もなかった。
全員日本人なのに。

溝口はサラッとやっているが、きっとこれは
そのとんでもない手腕ゆえ、ということなのだろう。
未熟ながら思案してみたところ、扱う物語が万国共通の人間模様を
基礎にしているから、ゆるぎない映画に見えるのではないか。
つまり、
「思い通りにならない人生」という悲劇である。
それこそが映画だと、溝口は考えているのではないか。
だって、この人の映画、悲劇ばっかりでしょ。
(5本しか観ていない分際ですいません。違うと思ったら
すぐに訂正しますゆえ)。
そして僕も、悲劇こそ映画だと思ってます。
(またまたすいません)。


この人が世界の巨匠、溝口健二。
非常に分かりやすくて切ない、どの時代でも
通用するだろう普遍的な映画を作り続けた人。

3年連続でヴェネチア映画祭受賞という
とんでもない偉業を成し遂げた後、
キャリアの絶頂期に亡くなった。
日本人として、黒沢明や小津安二郎よりも、
溝口健二をぜひ覚えてください。

今は没後50年で
いろいろリバイバルされているので、
映画を観る機会が多いです。

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Date:2006/10/19 Thu
Title:映画好き失格の毎日。


最初から映画の話を・・・。

案の定いきなり更新の間を開けたのにまだ
『ゆれる』を観ていない。
日本中の自称映画好きの中でまだ観ていないのは
自分だけなのではないかという孤独感に苛まれる毎日。

それ以前に今をときめく映画監督・西川美和の作品を
一本も見たことがないのだ。

完全に映画好き失格である。
泣こうか。いや、泣く暇があったら観よう。

最近では、会社の社長に借りているヴィクトル・エリセの
『エル・スール(南へ)』を観直した。
8月に行った溝口健二没後50年の記念シンポジウムで
エリセの話を聞いて、観直したくなったのだ。

何年ぶりかの2回目だが、映像的記憶はかなり残っていた。
冒頭のだんだん露出が明るくなる朝の場面は
やっぱり素晴らしかったけど
(犬の声、母の声などの音の効果が印象的)
私が大学の進級制作で同じような露出の変化を
やろうとしたのは、もしかしたらこのシーンの影響かも
と気付いた。
主人公の父の話だったことは、忘れてしまっていたが、
観ていて思い出した。

父親というものを「映画として」的確に捉えている
素晴らしい作品だと思う。父親ってこうだよね。
怖くて、優しくて、わがままで、
どうしようもなくて、孤独。
『エル・スール(南へ)』というタイトルと、
作品との絡み合いが、涙が出るほど美しい。
世紀の大名作であることは間違いない。

溝口健二作品の恵比寿ガーデンシネマでの特集上映が、
明日で終わる。結局観れたのは、現在で4作品。
明日『楊貴妃』に行ければ
(というか絶対行く。起きろよ、俺!)
5作品だ。やっと5作品かよ。

これでまぁ長年の溝口健二コンプレックスも
少しは解消されたけど、まだまだ先は長い。
ホントに映画を観る行為って「努力」が必要だ。
溝口作品について何か言えるほど観てないけれど
映画として・物語として『正しい』、と感じた。
これが映画じゃない?
これが物語じゃない?
そう感じた。

僕は映画とは、
「登場する人や物が、確実にスクリーンの向こうに
存在しているように感じられるもの」
だと思っているのだけれど、溝口映画はそれをガツンと感じる。
ストレートに、ありありと、スクリーンの向こう側に
世界の広がりを感じる。

とにかく、映画を観なければ。
東京国際映画祭も始まる。(チケット残ってるのかなぁ)。
仕事も頑張らねば。自分の自堕落な生活に負けず、
努力しなければ。あ〜あ。


【ヴィクトル・エリセ】
スペインの映画監督。現在66歳。
10年に1本という驚異的スローペースで映画を撮る。
今まで3本しか長編を撮っていないが、
そのあまりの完璧で魅力的なフィルムは、
世界中の映画作家をうならせてきた。
マジでホントに素敵な映画を撮る人です。
『ミツバチのささやき』が初作にして代表作。
溝口健二シンポジウムで遠くから本人を見ることが出来た。
お話を聞いていると、映画に対する真摯な姿勢が伝わってきて、
とても嬉しかった。

【溝口健二】
1898〜1956。
日本映画の大巨匠の一人。
生涯のうちに、誰にも真似できない、
どこからどう切り取っても非の打ち所のない
フィルムメイキングを確立した大作家(らしい)。
世界中の映画作家に大きな影響を与えている。
あのゴダールが墓参りに来たことでも有名。
性格は結構ヘンタイという噂も。


『エル・スール』
(1982年 スペイン/フランス)
監督・脚本・音楽:ヴィクトル・エリセ
小さいビデオ屋さんにはありません。
高田馬場TSUTAYAにはあるので、
大きめのツタヤにはあるっぽいです。
DVDも出てますが、すでに廃盤。再発売してほしい。
今後もし劇場で観る機会があったら
何を差し置いても行くべき。






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Date:2006/10/01 Wed
Title:初回なんて誰でも出来る。


まず最初に「ヤトミックカフェ」というサイトで
このような場所を与えてくれた矢透氏にお礼を申し上げる。
誰かに読んでもらおうという意識ではなく、
自分のためのメモとして活用するつもりだがいいですか?
と聞いたら、快く
「好きに書いてください」
との返事。ありがとう。

だからといって、読んで欲しくないわけではなく、
この文章が一人でも多くの人が
一本でも多くの映画を観るきっかけになれば、
こんなに嬉しいことはない。
是非読んで!密かに。

とにかく初回を意気揚々と始めて、あっという間に
更新頻度が過疎化していくことほど、
有り勝ちでかっこ悪いことはないから、
出来るだけハードルは下げておきたい。

今回は、軽い自己紹介だけチラリと。
矢透氏の高校の同級生で中尾憲人と申します。職業は雑誌編集者。
いつかは映画を作りたいというフワリとした野望を抱く25歳。
どうぞヨシナニ。

『ゆれる』(監督:西川美和)を劇場公開中に必ず観よ、中尾よ!
と自分に釘を刺して今日は終わり。(まだ観てないのかよ!)


『ゆれる』
(2006年 日本)
原案・脚本・監督:西川美和
出演:オダギリジョー、香川照之ほか
http://www.yureru.com/splash.html










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